逃げられ――悶々の情遣方なく此の酒場で毎夜憂さを晴してゐる気の毒な身であつた。あまり真に迫つた歌をうたつたので一同は稍《やゝ》暫らく同情の眼蓋を伏せた。
「俺は世の中の人間といふ人間は大概まあ破れかぶれの気持で生きてゐるんぢやないかと思ふんだが、何うだらう。」
 執達吏が変に沁々とした調子で斯んなことを呟いたりした。「たゞ、その破れかぶれなりのかたちが千差万別といふわけぢやないんだらうか。」
 そして彼は、酒注台に凭りかゝつて凝つと何か物思ひに耽つてゐる私の方を振り向いて同意を求めるやうな眼つきをしたので私は、即坐に、
「冗談ぢやない――」と否定した。彼は、この一年位ひの間凡そ二三十回も私の住家に通ひ詰めたであらう。そして、気の毒だ/\と呟きながら、其家のあらゆるものに「差押へ」の赤札を貼つたのである。彼と私は、その度に赤い顔を見合せ苦笑を浮べる毎に、親密さを増して来たのであつた。彼は、村長とも私と同じやうな動機で友達となり、そして、その役目の帰途夕暮時になり、私や村長の案内で此の酒場の常連になつたのである。
 私が、その家を出て、この村に移つた時には、二つとも私の書斎に永い間壁飾りと
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