かも知れなかつたのである。魚と鳥が私達の主食物であつた。
 私は片方に妻を抱き、野菜馬車の手綱をとつた。報告者は、ドリアンに乗つた水車小屋の大将であつた。
「それツ、速く/\!」
 と、せきたてる大将に引かれた私は吾を忘れて、馬の頭上にヒユウ/\と鞭を鳴した。馬車は鉄輪《かなわ》であつたから凄まぢい地響きを挙げてまつしぐらに狂奔した。
「しつかりとつかまつておいでよ、振り飛ばされないやうに……」
 おそらく、阿修羅の形想であつたに違ひない私は死物狂ひで叫んだ――「あの平和とこの混乱! だが妻よ、円舞曲の幻の後に続く狂騒章だ――と想像して、楽の音の嵐だけを聴いておいでよ。決して恐れのために身を震はせてはいけないよ。」
 と私は震へ声を振りしぼり、戦車のやうなスピードを出した。もう街道には一人の人の姿もなく、行手は白く、月の光りで明るかつた。

          *

 その決闘の原因を叙述する代りに次の一文を挿入する。

          *

     (アウエルバツハの歌)

 私は日頃小説の創作に専念この身を委ねて居る者でございますが、歌をつくつた経験はありません。経験はありま
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