ゐるので、厭々ながら書いたのだ。――手紙にすら、ほんとのことが書けないとは情けない、つまり俺の頭にも生活にも、文字に換ふべき一物もないといふ証拠なんだらう、小説なんていふものは止すべし、止すべし――私は、そんなことを思ひながら、却つて清々したやうな気持になつて、縁側に出てどつかりと大儀な体を椅子に落した。
 Fと照子が砂だらけになつて帰つて来た。二人は跣足になつて、足袋や靴下の儘で、泉水を蹴つて、砂を落した。照子は、電話をかけて自家から着換への着物を取り寄せた。濡れたスカートの儘で、Fは座敷にあがり唐紙をぴつたりと閉めて、照子と二人で着換へをした。
「もの云へば唇寒く――もの書けばペンまた寒く、思ふこと更に寒し。」などと思ひながら、私は泉水に眼を放つて茫然と煙草を喫《ふか》してゐた。
「ジュンは、どうして来なかつたの?」
「行かうと思つてゐたんだが、忘れてゐた仕事を思ひ出したんだ。」
「そして、それはもう片附いたの?」
「僕の仕事はビジネスぢやないんだから、片附くも片附かないもあつたものぢやない。」
 私の細く濁つた声などには頓著なしに、
「妾達は、膝の上まで浸して来た。」と、Fは照子
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