B子さん、C子さん、僕の残酷を許して下さい。」と、彼は叫び、そして何者かの力を感じて微笑した。A子は人妻だつた。B子は友達の恋人だつた。だが、宇宙には善もない、悪もない、ただ永遠の流れがあるばかりだ、と悟つて憂鬱な青春を過した――といふ主題の長篇小説を書いた男である。「その主人公の世紀末的思想!」さういふのが藤田の口癖だつた。自分の生活を如実に描いたのだと云ひながら、「その主人公は、その主人公の気分は――」などと云ふのも彼の口癖だつた。「宇宙には、善もない悪もない、ただ永遠の流れがあるばかりだ。」その言葉に軽い節をつけて、聖者のやうに重々しく呟くのである。
「国滅びて、山河在り――かね。」と、私が云ふと、彼は苦い顔をして、
「そんな旧思想ぢやないんだよ。」と云つた。
こんな薄汚い奴に、好くもそんなに多くの女が涙をこぼしたものだ――さう思つて、私は、藤田に感心した。さんざん女を欺した後に「善もない、悪もない。」と叫んで、孤独になり「ああ俺は悪魔だ、悲しき悪魔だ。」などと呟くなんて、随分虫の好い話だ――私は、そんな気もしたが、うつかりそんな感情を述べると、またどんな六ヶ敷いことを云はれて
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