ぢやお前は、もう東京へ帰りたくなつたらう?」
「あゝ、帰りたくなつたね。」と云つて彼はにやにやと賤しい笑ひを浮べた。そんな因循な反語的態度を知らない快活で正直なFは、
「おゝ、それは困つた!」と鮮かに眉を顰めた。「課業の方は自由なの?」
「ボートレースの準備で、当分休講だ。」
「お前はレースには出ないの?」
「出ない。」
「お前は運動は不得意なの?」Fは一寸嶮しい眼付をして、彼の返答を待つた。不得意には違ひなかつたが、不得意だと正直に答へてしまふのが、彼は具合が悪かつた。常々彼はFの趣味におもねつて、いかにも自分は運動好きの快活な若者であるといふ風に見せかけてゐたから――。
「僕は、思索が得意なんだ。」と彼は苦し紛れに答へた。Fは少しも可笑しがらずに、
「ぢやお前は詩人なの?」と訊ねた。
「……」彼は思はず、顔をあかくして口ごもつた。
「Fは詩人が好き?」彼は、急に蚊のやうに細い声で怖る/\呟いた。
「私は、アラン・ポーとウォルズヲルスと、ジョン・キーツとそしてバイロンの詩は好きだ。」と躊躇なく云ひ放つた。何々と何々との詩は、――と「は」で断定し切つたFの度胸で、彼の心は一撃の許に震へ
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