だ。――私に寄越したこの間の手紙などは二三行でローマ字で印刷してあつた。近頃の書生の間ではそんな真似が流行《はやる》のかしら……無礼な。」と、母は嘆いた。私は、心持を説明することが出来なかつた。
 その頃Fの小さな従妹であつた混血児のNが、今では大きな娘になつてゐた。Nはこの頃神戸に住んでゐる。その父から、私の父が何か仕残した用件で二三度手紙を貰つてゐるが、私には意味が解らないので返事は出せなかつた。一ト月程前に、そんな用もあり、私が英語は一つも喋舌れないことを知つてゐるので父の代りに、私とは幼時のなじみがある日本語の巧みなNが上京して私と会つたのである。
 彼女が、礼で、私に握手をした時に、何年にもそんなことに慣れない私は、非礼にも顔を赧らめたりしてしまつたのであつた。子供に出す気持で稀に暢気な手紙のやうにとりはしてゐたのだが、いつの間にか私は無邪気な筆は執れなくなり、この間も昔通りに稚拙な和文で暢気な手紙を寄来したNへの返事で、――私は、妻にかくれる程な気持さへ抱き、到頭このボロ点字機を取り出したのである。去年の冬頃私は、これで読み易い古典英詩の抜萃をつくりかけたのであるが、十枚も
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