びをして外を見ると、それは落葉が屋根に散る音だつた。そんな音に気づいたのは初めてだつた。――屋根は、見るからに軽々しい亜鉛板で葺いてあつた。生々しく白い薄つぺらなトタン葺だつた。だから落葉のあたる音までが、その下に住んでゐる人の耳に雨のやうに鮮やかに聞ゆるのであつた。あたりには落葉樹が多かつた。朝夕、狭い庭は狐色の木の葉で深々と埋まつた。

 歯が素焼の陶器になるやうなザラザラを口中に覚ゆる日が次第に多くなつた。トタン葺の屋根に時たま落葉の音を聞いても(今では大概葉は散り尽して、稀にカラカラと鳴るだけだつたが、私の神経はその度に屋根に飛んだ。)そんな日の私に最も毒なあの生々しい亜鉛板がザラザラと眼の先きにちらついて私は、思はず唇を閉ぢて頤を襟に埋めた。
 私は、自画像執筆はとうにあきらめてゐた。
 テーブルの上には、玩具のやうに小さい処々に錆の出てゐる点字機が載つてゐた。これを打つのかと思ふと私は、その旧式で工合の悪い金属性の音を想像して、ひとりでに指先きで歯を撫で廻はさずには居られなかつた。――学生の頃私は東京から父やFに手紙を出さなければならない時には必ずこれを用ひてゐたのである。
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