るから、この上もう、何んな言葉も要らない。勇ましい姿のアハヴよ。橄欖の冠は必ず汝の頭上に落ちるだらう、ゼウスにかけて妾は疑はぬ。」
 若者は、白い川のほとりを進みながら、こんな言葉を声をあげて朗読した。遠い昔、ギリシヤのこと、パンアテナイア祭の戦車競技に出陣する勇士とその恋人の物語である。
 若者は、一行読んでは書物を胸に抱き、空を仰いで恍惚とした。白い川のせゝらぎの音が、群集のざわめきでゞもあるかのやうに颯爽と若者の耳に伝はつた。
 若者の脳裡では、アハヴが自分となり、ロータスが鍛冶屋の娘に変つたりした。
「アハヴは腰の剣を抜き放つと、天をさして高唱した――ロータスよ、別れだ!
 ロータスは恋人の剣をとつて、薔薇の枝を剪つた! そして、誉れに輝く勇士の鎖かたびらの胸に真紅の薔薇をさして、云つた。――発ち給へ、道々にこの花片《はなびら》を撒きたまへ、妾はそれを一つづゝ拾うてお前の戦勝を祈らなければならない! 夢にも後を振りむくことなしに、この瑠璃色の朝陽を衝いて、さあ、一散に発ちたまへ……」
 若者は、震へ声で朗読した。若者は、思はず御者台に立ちあがつて、空に向つて拳を振つた。
「一散
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