神輿は現はれなかつた。何故なら、御本体は彼方此方の家々の前に御輿を据えて、神酒《ネクタア》の雨を浴びるのであつたから、次第に千鳥脚となつて凄まじい「お練り」の道中をたどるのであつたから。そつちには、そつちで、また改めて、しめ縄を巻かれた神々しい賽銭箱が控へてゐた。人々は、その箱を目がけて投げた賽銭が、宙を飛んで見事に箱の底に到達すると、吉運の占ひなり――と見て、打ち喜び、若しねらひが外れて地に飛んでも、そこには矢張り厳めしいいでたちの拾ひ手が侍してゐて、一度落ちた運は忽ちもとにもどつて、汝の運勢は目出度く展ける――といふやうな祈りごとを与へて、それは彼自身の所得となるとの事であつて――結局、賽銭を投げさへすれば、悉くが神の御恵みに浴して来る日の幸ひをかち得ることが可能であつたから、村人達は吾も吾もと腕をふるつて、己が将来の祝福を乞ひ希ふために躍気となつた。所得と云へば、太鼓隊の賽銭箱は、天狗と鎧武者とがその大半を恭々しく頂戴して、残りのものを担ぎ手やら、胴腹の叩き手が分配されるといふ風習であつた。その分け前は一度に五十金乃至は百金にも達する程であつたから、祭りの日が来るならば私達の水車
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