あのやうに慌てふためいて遁走したのは私の背後に立ちあがつた低気圧をはらんだ三人の阿修羅を見てのことであつたのだらう。あの重い水門を、あのやうに難なく上げ降しすることの出来る人物は雪五郎父子をおいて何処の村にも続く者はない由である。第一流の水門番として鳴り響いてゐる。永年の間あの水門の把手を担ぎ慣れてゐる彼等の肩には、恰度握り拳《こぶし》大の力瘤がむつくりと盛りあがつてゐるではないか! あの事件では彼等も余程亢奮したと見へ、また更に私に落着きを与へようとして、まあ試しにこれをつかんで御覧なされ、力一杯握り潰すつもりで――。
「これは切られても痛くはないんです。」
 さう云ひながら三人が交々片肌抜ぎになつて、覚悟を決めて、奴等の幻を追ふように力んだので――先づ私は、雪二郎の力瘤をつかんでみると、それは恰も皮下に一個の林檎を蔵してゐるが如くグリグリと蠢く態《さま》は、魔力の潜みと思はれた。
「抓りあげて御覧なさい。」
 雪二郎にすゝめられた私は、歯ぎしりをして拗らうとかゝつたが、忽ち指先が痺れてポロリとしてしまつた。
 次に雪太郎の番になると、これはまた何と驚いたことには正銘の堅ボールで、抓
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