て執りあげてゐた。
 おゝ私は、あの日の妻の姿が、ありありとあら[#「あら」に傍点]目に浮んでゐる――。
「車が回りはぢめさへすれば、明日《あした》にでも迎へに行くんだからそれを楽しみに待つてゐてお呉れよ。」
 私が妻の手を執つて、ねんごろな励ましの言葉をおくると妻は、しつかりと私の手を握つて、
「私のことは決して心配なさらずに、あなたは勉強をつゞけて下さいね。」
 と朗らかな微笑を浮べて出発した。私は凝ツと妻の顔を見あげて、深く点頭きながら胸板をどんと強く叩いた。
「なあよ、お雪坊や、唐松へ行けば、また珍らしい草つぱもあることだらうから奥さんのお手伝ひをしなよ。」
 雪五郎は、私の妻の鞍にぶらさがつてゐる植物採集の胴乱を見て、そんなことを娘に告げた後に、更に道中のこまごまの注意を繰り返した。私の、さつぱりと捗らない創作の仕事にやがて引用される筈の、このあたりの野生植物の蒐集に関して妻は久しい前から標本をつくつてゐた。私は先程マメイドが河原で摘んだ花束を携へてきたことを誌したが、それも同じく常々からの標本作成のための手助けなのである。
 さて、桐渡ガラドウが、今更そんな風に私の方を向い
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