身の力をこめて、いざ天狗の高下駄が地を離れて雲を蹴らんずる瞬間に、どうん! と、一つ山々に反響させて力一杯太鼓を打ち、続いて、天狗の脚が弾道を描いて地に降りやうとする刹那に、再び、どうん! と、神々しく打ち鳴すのである。と、武者の反対の側に控へてゐる、これは白面の一人の使丁が、携へてゐる一本の撥を擬して、二つ目の太鼓の音が消えると同時に、太鼓の胴を、つまり木材の部分を戛《カツ》、戛、戛ツと拍子をとつて三辺打ち叩くのである。この合奏は天狗の歩みが続く限り、「附け」となつて、いとも厳かに鳴り渡るのである。
「どうん、どうん――カツ、カツ、カツ……どうん、どうん……」
目醒しい物音は、森を飛び、丘を越えて、八方に、神輿の渡御を知らしむると、待ち構へてゐる村人達は、
「それ、天狗様のお通りぢや/\!」
と口々に叫びながら行列を目指しておし寄せるのである。そして、この太鼓隊の踵をついて、四人の者に担がれた凡そ一坪位ひの容量の巨大な賽銭箱が控えてゐるのを目がけて、有りがたい/\と伏し拝みながら、四方八方から賽銭のつぶてを雨と降らすのである。この一隊が通り過ぎてしまつてから、凡そ半時も経たないと神輿は現はれなかつた。何故なら、御本体は彼方此方の家々の前に御輿を据えて、神酒《ネクタア》の雨を浴びるのであつたから、次第に千鳥脚となつて凄まじい「お練り」の道中をたどるのであつたから。そつちには、そつちで、また改めて、しめ縄を巻かれた神々しい賽銭箱が控へてゐた。人々は、その箱を目がけて投げた賽銭が、宙を飛んで見事に箱の底に到達すると、吉運の占ひなり――と見て、打ち喜び、若しねらひが外れて地に飛んでも、そこには矢張り厳めしいいでたちの拾ひ手が侍してゐて、一度落ちた運は忽ちもとにもどつて、汝の運勢は目出度く展ける――といふやうな祈りごとを与へて、それは彼自身の所得となるとの事であつて――結局、賽銭を投げさへすれば、悉くが神の御恵みに浴して来る日の幸ひをかち得ることが可能であつたから、村人達は吾も吾もと腕をふるつて、己が将来の祝福を乞ひ希ふために躍気となつた。所得と云へば、太鼓隊の賽銭箱は、天狗と鎧武者とがその大半を恭々しく頂戴して、残りのものを担ぎ手やら、胴腹の叩き手が分配されるといふ風習であつた。その分け前は一度に五十金乃至は百金にも達する程であつたから、祭りの日が来るならば私達の水車
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