らうにも指も立たぬので、私は両掌で鷲掴みにして、躍気となつて、えいえいと※[#「てへん+宛」、第3水準1−84−80]ぎとらうと努めたが、見る間に私の腕はあべこべの逆拗りを喰つて二の腕の関節が脱臼しさうになつてしまつた。いつか、これに熊蜂がとまつたから、これはと思つてそつと見物してゐたところ蜂の槍が折れてしまつて、蜂は這々の態で飛び去つたことがある――といふ挿話を雪太郎は附け加へたりした。
それから最後に私は、大きな身構えを執り先づ自分の腕を、いざ仕事にとりかゝらうとする力技者のやうに鳴らした後に、やをらと振りかぶつて雪五郎の力瘤に飛びかゝつて見ると、実にもこれは真実の石であつたから、慌てゝ腕を引つ込ませてしまつた。
「そんなら、いつそ私のに喰ひついて御覧なされ……」
たぢろいだまゝ木兎の眼つきをしてぎよろりとしてゐる私を見て、物足りなさの不興に駆られてゐるのかと察した雪二郎が、もう一遍左様云つて林檎の肩先を突き出したが、それはさすがに薄気味悪かつたので私は、もう解つた! と平に辞退して、肩をいれさせた。
これらの稀有なる腕力、強肩に比例して彼等三人は見るも壮んな均整の麗はしいスパルタ型の体格を備えた見あぐるばかりの大男ぞろひであつた。云ふならば雪五郎は五尺九寸、雪太郎と雪二郎は共にそろひもそろつた五尺八寸の身の丈の持主であつた。そこで年々歳々村祭りの日ともなれば、雪五郎は神輿の先に立つて、神様のお通りの道を展くがための悪気の露払ひたる天狗の役に、あちこちの村から引つ張り凧であつた。彼は、この役目を既にもう六十年来この方務めつゞけてゐるせいか、普段の場合でもその脚の運び方は一種独特の、云はゞ人間離れをした悠々として迫らざる風情で、地を踏めども雲の上を往くが如く、眼は爛々として広袤千里の雲煙を衝きながら一路永遠の真理を眼指して止まざるものゝやうな摩呵なる輝きに充ちて、祭りの時の天狗としての歩き振りそのまゝなのである。どうせ、あの真赤な大天狗の面をつけるのであるから、中の顔は何うでも関はぬわけ合ひだが、矢張り斯の如き風貌の持主であればこそ、心ともなる天狗の趣きを発揮することが出来るのであらう――と常々私は感心してゐるのであつた。さう云へば、その音声までも、太く澄み渡つてゐて言葉少なく、吐けば朗々として恰も混沌の無何有から山を越えて鳴り響く不死なるものゝ風韻が籠つて
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