―と感違ひをして、
「うふゝゝゝ、どうです、先生、お心持は悪くはござんすまい。ですが、あつしは近頃、とんと気が小さくなりましてな、恐怖性神経衰弱とでも申しませうか、ちよつとしたことに出遇つても直ぐに斯う、ドキツとして気絶してしまふんですよ。その辺のところを、どうぞお察し下さいましてな、あんまりあつしを吃驚りさせない格構のところで、ねえ、先生、お望みのところを仰言つて見ては下さいませんかね……」
などと、厭にいんぎんなことを唸りながら、おもむろに私の傍らに、にぢり寄つて来たかと思ふと、
「メイちやんが、よろしくですつてさ。こゝで一番たんまりと儲け込んで、鬼のゐない留守に、あの娘《こ》とゆるゆる……」
と続けながら、やをらその手を私の肩に載せようとした途端――私は、ゾツとして夢から醒めた。……間一髪、私は、五臓六腑がものゝ見事に吹き飛んだ轟きに打たれて、全くの無意識状態の絶頂に飛びあがつた瞬間、物凄まじい勢ひで、突如、
「ワーツ……!」
といふ叫び声を挙げた。同時に、また、
「ワーツ!」
といふ気たゝましい叫喚の渦が、小屋全体をはね飛すやうに巻き起つたかと、見ると、当の桐渡ガラドウをはじめ、今迄私達の周りに太々しい面構えを曝して、動かばこその姿勢を示してゐた地主アービスも従者のアヌビスも、執達吏のドライアス、代言人のクセホス、周旋業の何某、伯楽《ばくらふ》の手代等といふ黒雲の面々が、一勢に弾《バネ》にはぢかれた蛙のやうに吃驚り仰天して、
「ギヤツ!」
と叫ぶと同時に、夫々その瞬間まで保つてゐた大業な姿制のまゝで、ぴよんと飛びあがつた。それと一処に一瞬の時も移さず宙を飛んで奴等はパツと飛び散つた、かと思ふと、てんでんに吾先きにと、或者は障子を突き抜き、或者は上りがまちからもんどり打つて転げ落ち、扉を蹴破り、一陣の突風を巻き起しながら風を喰つて一目散に逃走した。
気づくと私は、炎々と囲炉裡に炎えさかつてゐた三尺あまりの瘤々逞しい赤松の薪太棒を振りかぶつて、まんまるな月の光りを浴びつゝ、芋畑のふちで鬼と化してゐた。云ふまでもなく私は黒雲共を追つ払つて、夢中で此処まで飛び出したものと見へる。そのまゝ私は、逃げてゆく彼等の後影をぼんやりと視詰めてゐた。隈なき月の光りで青海原のやうに畳々とした畑の中を奴等はスイスイと、恰で氷滑りでもしてゐる見たいに速やかに走つてゐた。あ
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