―やがて、好い加減な田舎の紳士にはなれるかも知れないが……」
「………」
 夫婦は分れる、着物も無くなる、住居の定めも怪しい、それで何が文学か――なれるものなら、好い加減であらうと、しみつたれであらうと、田舎の紳士となつて鬚でも生したら結構なものであらうのに――雪太郎は、まさしくそんな風な思ひで首を傾けながら、破れ靴にインヂアン・ジヤケツトといふいでたちの私の様子を気の毒さうに振り返つた。
「何だい、雪太郎、その眼つきは――。今夜から俺は、ほんとうの自分の仕事が出来るといふことになつてゐるところだといふのに、憐れつぽい眼つきは禁物だよ。」
「ほんとうですか?」
 と艫の方から雪二郎が声をかけた。「仁王門の裏二階は、もう一ト月も前から準備が整つて、先生の御入来を待つばかりですぜ。」
「奴等が俺の帰来を希はぬのを逆用して、さうだ、このまゝ俺は仁王門の住人となつてしまはう――」
 矢の倉の鎮守の森では、社の御神体は二三年前に桐渡鐐通達の村会議員の胆入りで、彼等の村社に合体されて、空社となつてゐたが、近郊の音に響いた有名な仁王門は、昔ながらに森蔭の正面で逞ましい見得を切つてゐた。村費をもつて、
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