りませんか。前には決して道楽なんてしなかつたんですつてね。……」
「うん、さうだよ。」
彼は、さうは思はなかつたが、好いお父さんが女の為に悪くなつたといふことで、細君を残念がらしてやりたかつた。
「外国に十何年も居る間だつて、それはそれは潔癖だつたんですつてね。始終あなたとお母さんを思ふ手紙ばかし寄越してゐたといふぢやありませんか。」
「まアそんなわけかね……」
彼は皮肉な気がしたが一体それは誰に向けるべき皮肉か、ちよつと考へに迷つた。後に小憎らしい父親の顔が髣髴としてきた。
「あなたが『熱海へ』とかといふ小説みたいなものを書いたでせう?」
「お前読んだのか?」彼は、ギクリとして問ひ返した。
「妾は、とつくに読んだわ。妾が読んだのは好いとして、それをお父さんが読んだんですつて!」
「ヤツ!」と彼は、思はず叫んだ。そしてテレ臭さの余り誰に云ふともなく、
「馬鹿だなア!」と呟いた。
「それもね、たゞ読んだのぢやなくつて、杉村さんがその雑誌を持つて来てお父さんの前でペラペラと読みあげたんですツて……」
『熱海へ』といふのは彼の最も新しい創作だつた。事柄は実際の彼の家庭の空気をスケッチ風に
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