つたんだらう。――まだ世間一般にさういふレインコートが流行しない頃だつたし、加けに色合がそれらしくないので誰もこれが雨外套とは気づかなかつた。
[#5字下げ]二[#「二」は中見出し]
食膳を縁側へ持ち出させて、彼は晩酌をやつてゐた。晩酌なんていふ柄ではなかつたが、此方へ移つてからは毎晩細君ばかしを相手にして、ひどい時には夜中の二時三時頃まで出たらめを喋舌つた。喋舌り疲れて、泥酔しないうちは寝なかつた。
「女中だつてあなたの云ふことなんて諾《き》きはしない。」
伴れて来た女中を自分が帰してしまつた癖に、少しでも自分の動く度数の多さを感ずる毎に、彼女は不平を滾した。若い女中で、往々彼が必要以外に親切な言葉を掛けるのを悟つて、別な口実で細君が追ひ帰してしまつた。
「妾、あのことを考へると口惜しくつて堪らない!」
細君は、ひとりでビールを飲み始めてゐた。あのことゝ云ふのは彼の親父のことだ。此間彼女が帰つた時、酔ひもしないのに口を極めて父が彼の悪口をさん/″\喋舌つたといふのだ。
「あんな女に引ツ懸けられて、お父さんはもう気が少しどうかなつて了つたのよ。前とすつかり変つてしまつたぢやあ
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