に別れると彼は、眉を顰めて舌を鳴した。「斯んな物、貰ひ手があれば喜んで進呈したら好かつたのに――」
………………
彼は、寝床の中でそんな回想に耽つた。半ばは夢らしかつた。五、六年も前の追憶だ。――そんなに古い話で、全く忘れてゐたのを、細君の余計なお世話から、突然この古コートが彼の身辺に現れたのだ。――彼は、此頃午後になると大概海で暮した。往来を通らず、短い松原を脱けると直ぐに海なので、いつでも彼は素ツ裸で出掛けた。それを細君が嫌つて、一週間も前に彼の用事で彼の実家へ遣らせられた時に、
「家ぢや土用干だつたので、長持の底から斯んなものが出て来たの。多分あなたが学生時分に使つたんでせう? 随分ボロね。でもこれなら面倒がなくて好いでせう。海へ行く時に着て行きなさいよ。」と云つて持つて来た。
「うむ、それは俺のだ。」
彼は、苦笑を怺へて、きつぱりと答へた。以来彼は、細君の言葉に従つて、海へ行く時には必らず裸の上にはおつて行つた。
「とう/\このコートが、実は女物なんだつて事は誰にも気が附かれずに済んで了つた。」
さう思つて彼は、一寸皮肉な微笑を洩したかつた。これは混血児の妹のレインコー
前へ
次へ
全31ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング