地震が起つた。幸ひ家は潰れなかつたので、家のなかで彼は当分蒼くなつて震へてゐた。
小田原では母の家だけが辛うじて残り、他は凡て焼けてしまつた。
貸家とか土地とかで生活してゐた彼の父は、無一物になつて、彼が初めて帰つて見ると、蝉の脱け殻のやうな顔つきでぼんやりしてゐた。
父は、妾の家族を抱へ込んで途方に暮れ、焼けあとに掘立小屋を拵へる手伝ひをしてゐた。母だけは、自分の所有になつてゐる家が残つたので、父の方などには一文も金を遣らないと云つて、独りで住んでゐた。
父は、女にやる金がなくて弱つたもので、思案の揚句その掘立小屋で居酒屋を初めさせた。
或晩、彼がその小屋を訪れると今迄とは打つて変つた態度で父は彼を迎へた。そして久し振りに二人で酒を飲んだ。
「今にこゝに大きなホテルを建てるよ。そしたらお前はその支配人にならないか。」
そんなことを父は話して、彼を苦笑させた。何とかひとつ皮肉を云つてやり度い気がしたが、遂々出なかつた。
その後彼は東京に来て、或る新聞社の社会部記者となつて華々しい活動を始めた。間もなく彼は、その非凡な手腕を同僚に認められて、社から大いに重要視された。彼は、
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