生れて初めて感じた得々たる気持で、燕の如く身軽に立ちはたらいた。
 初冬らしい麗らかな日だつた。彼は口笛を吹きながら、ステーションへ急いだ。二タ月振りで小田原へ帰るのだつた。……どんな風に誇張して、得々たる自分の功蹟を説明してやらうか、何と親父の奴が舌を捲いて仰天することだらう! それにしても今迄いろ/\なことで癪に触つてゐるから、どんなかたちで、どんな皮肉を浴せてやらうか? 阿母もひとつ何とか苛めてやらう、この俺を信用もしないで、細君にまで辛く当つたりしたから、此方もひとつ遠廻しの厭がらせを試みてやらう。……彼は、そんな妄想に耽つて胸をワクワクと躍らせた。
 彼は、片手に例の「スプリングコート」を抱へてゐた。いくらか冷々したが、それを看て往来を歩く気にはなれなかつた。
 これは、つい此間熱海から届いた行李の中に入つてゐたのだ。
 帰りがけに、この古コートを父の掘立小屋に何気なく置き忘れて来てやらう――彼は、さういふ量見だつた。
 彼は、鼻頭をあかくしてセツセツとステーションを眼指して歩いて行つた。[#地から1字上げ](十二年十二月)



底本:「牧野信一全集第二巻」筑摩書房
   
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