に母のは閉口した。その内容の如何に関はらず、いつの時でも変な恐怖と救はれ難い憂鬱とを交々感ずるのが常だつた。東京の生活を切りあげてから暫く両親のそばに住んでゐたので、この厭な気持に久しく出遇はなかつたが、四月以来また離れて暮すやうになつてからは、少くとも一ト月に一回は母からの音信に接しなければならなかつた。
 彼は、いつもの通り云ひ難い冷汗を忍んで慌てゝ読み下した。(その日のは彼がスペシァルな要求をしたのに対する、スペシァルな返事だつた。)
「拝啓 先日の敬さんからのお言伝は聞き及び候 皆々至極壮健の由安堵いたし候 猶この上とも十分に注意せられ度候 さて御申越の金子は本日は最早時間なければ明朝出させ申すべく或は石川に持たせつかはすべく候
 父上は滅多に御帰館なく稀に帰れば暴言の極にて如何とも術なく沁々と閉口仕り候
 今や私もあきれはて候故万事を放擲してこの身の始末致す覚悟に御座候 父上の憤りは主に御身に向けられる憤りの如くに考へられ候
 御身のことを申すと父上は形相を変へ一文たりとも余計なものを与へなば承知せぬぞといきまき居り候
 さて私も兼々の計画通り今回一生の思ひ出に富士登山を試む
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