、一言置きに彼が「シンイチ! シンイチ!」と呼ぶのが、他人の名前を称んでゐる通りな気がして、さつぱりと痛さも覚えなかつたことがある。
――灰色の夢に、おもむろに「言葉」が降りそゝいで来た。納屋の窓から見渡す風景の輪廓が、一つ宛の枠の中に収まつて、同じものゝ下から、見飽きぬ場面が涌いた。渚で沐浴をする馬、飯場の飲酒家、舟を漕ぐ裸体の影、網に光る魚、遠望の島、鴎の群――それらの一つ一つに私は「自己」を感じた。無何有の夢に達する門を感じた。
……然し私は、はやまつてしまつた。
迷妄と矛盾を持たぬ八郎達の自信の前に私は、自身を見出す毎に、光りに打たれた悪魔となつて絶望の淵に追はれた。自然に対する冒涜を私は感じた。――私は、非常に慌てはじめてゐたその作物を Ossian と題することに決めずには居られなくなつた。「偽詩人」なる意であつた。
ランプを真中にした卓子で一同の者が、夕飯にとりかゝつてゐるところに転げ込んだ私は、
「俺は Ossian だ。」
と告げるや稍暫し昏倒した。
意味を問はれた時には私は、堪へられぬ苦しみであつたが、たゞ、それが当分の俺の名前だ、名前に意味なんてあるも
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