ると、何よりも先きにあの崖下の鉱泉浴の煙突だけが厭にくつきりと浮び出るのが私は、憐れで、滑稽であつた。それより他に夢も続かなかつた。ひとりの部屋で、歌をうたつても、剣闘を試みても、たゞ/\在りのまゝの生活は止め度もなく憂鬱であるだけだつた。
「おうい――Mr. Ossian! 月が出ましたよ、時間も迫つた。現実派の陰気な顔なんて見てゐないで、私と一処に停車場へ行かう。一身軽舟トナリ、落日西山ノ側――か、到頭私は居酒屋《サイパン》の親爺に信用を搏してしまつたよ、歩きながらその弁舌を披露しませう。」
 お出で/\――と外から七郎が、常ニ帆影ニ随ヒテ去リ、遠ク長天ノ勢ヒニ接ス――てえんだ! などといふ御気嫌で、大はしやぎであつた。
「面白さうだな……」
 私は、七郎の恰も「長天ノ勢ヒニ接ス」るかのやうな豪快の声に酔つて、よろめき出ようとすると八郎が、鬼のやうな腕で犇と私の肩をとらへた。
「駄目ですぞ。あんな歌に浮されて、彼奴と肩を組んだら、綱の切れた軽気球に乗つたも同然で、奈辺に飛ぶか計り難い――貴兄の尊敬するフアウスタスも云つてゐるぢやありませんか――あんな飲助連中の言葉に乗つたら自業自得
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