な高い処から見たら――まるでRの展望台から海を見るやうぢやないかしら……」
「綺麗だよ。ぢや行つて見よう。――そして、Yの方だが、此方は何うも一人のタイピストでも要るか、要らないか――といふところで、清ちやんのためには他を訊ねて貰はうと思つてゐるのだ。」
「ぢや、あたしのも他を聞いて……」
「ほんとうに、そんな決心なの?」
私は腑に落ちぬ心地で問ひ返してゐると、傍らから再び細君が口添へした、低く私の耳に囁いた。
「ね、結婚の申込が、日増にさかんになつて、家にゐられないんですつて!」
「結婚なら当然ぢやないか、何も家に居られないなんて……」
私は応揚に打消しながら、今更のやうにぼんやりメイ子の姿を見直して見たりした。――つい此間までは、あんな芝居を行つたり、また、マメイドで酒に酔ふと娘を引き寄せて「体は離れても魂は離れはせぬよ、マーガレットの口唇が――」といふファウストの科白の一個所を、マメイドと呼び代へて、
「マメイドの口唇が神体に触れても嫉ましいわい。」
などゝ唸つて酒場の常連の前で愉快な戯れに吾を忘れたりしたが、もうあんな真似は出来さうもない――不図そんな馬鹿な思ひに走つたり
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