忍び込んで、そんな原稿を読みあがつた?」
「あら、まあ、憤《おこ》つたの?」
 男の声が、突然娘の声に変つた。そしてカーテンの蔭から私の「アウエルバッハ騒動」といふ書きかけの芝居に出て来る雉子の羽根を斜めにさした頭巾を被つた小柄の学生が現れた。で私は、その芝居のために先づ取りそろへてある幾つかの衣裳が帷の蔭の衣桁にかけてある筈なので、慌てゝ、其処を験べて見ると、悉く盗まれてゐる。
「何だ! メイ子……」
「折角だから、もう少し芝居を続けるのよ。――途中を飛ばして――云ふわよ。ねえ、先生、酒場へ行くか、厭だとあらば、お手なみを拝見……で、斯う――これで好いの。」
 と学生は腰の剣に手をかけた。
 そこで私は、あの芝居の中の愚かな博士である私は、科白を続けた。
「斯んな月夜の晩に君と肩を組んで出かけるのならば、酒場と云はず、山向ふの森までゝも、悲劇出生論を講釈しながら、今直ぐ行かう――といふのは、内証でお前にだけ伝へるが、学生に扮してゐるものゝ、お前は俺の可愛いゝ小鳩、アウエルバッハのマーガレットであるのが解つてゐるからなんだよ――お前の望みならば何でも聞く、望みとあらば、あの森蔭へ行つて
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