思はれ、「シノン物語」の中の数々の木馬の腹の中の場面が聯想され、恍惚状態が次第に激情の煙りに巻き込まれて、何時か自身が兵士シノンにその身を変へてしまふのであつた。――私は、つい此間まで、この部屋うちで、恰も厳冬のギムナジウムで石の彫像を抱くストア派の学生であつた。エレア哲学の実有論を噛み砕いて、拳を固めて吾と吾が胸を叩きながら絶対唯物論の橋を渡り、汎神の彼岸に身を翻さうといきまくスパルテストであつた。
 私は、妄想に逆上すると突然はね上つて、
「あゝ、この思ひを吾がベイコン博士に告げて、今や不幸なる偶像観念を脱却した、科学々生のために、その額を花蔓酒の雫をもつて霑ほして貰はう――ハツハツハ! 兵士だ、兵士だ、兵士だ、今日からは――」
 などゝ哄笑した。
 私は、壁にかゝつてゐる剣(フェンシング)をとりおろして、大空(私が自分でつくつた星座表がピンで止めてある天井)に向つて肩をそびやかし、地(種々様々な書籍が転がつてゐる床)を省みて、朗らかなモッキングを示した。
 不図、その時帷の外から、
「博士、博士――」
 と呼ぶ太い男の声が響いた。
「博士と呼ばるゝのは、私ですか?」
 と私は地を
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