なかつたんですが、……それだもので……」と、彼は一寸口ごもつて「どうも香が抜けてゐるやうな気がしてゐたんです。」……書き直さう、とも前に一寸思ひもしたが実際には彼は、そんな根気はなかつたのだが、偶然? でC氏に讚められたので「……それに、もう一辺丁寧に書き直さなければ、発表し憎い気持だつたんです。」などゝ、勿体振つて、意味あり気に吹聴をしたのだ。そして加けに、あれは初め何々からの依頼で書き、その後斯んな事情で、不満なものにも係らず訂正もしないで、あそこに出したんだ――などゝ、くどくどゝ余外な話を附け加へたりした。
「そんな必要はないさ。」と、C氏は笑つた。
「書き直す気持があつたら、あれは未だ相当に書ける材料だから、新しく書き給へよ。君は、此頃最近の実生活を主に材料にするらしいが、あゝいふものだつて少しも熱が醒めてゐないから、遠慮なく書き給へよ。」
 彼は、C氏の言葉に心で感謝したのだ。
 縁側の日向に寝転んで、彼は、ブロチンとかといふ熱湯に溶かした咳の薬をすゝりながら、C氏の言葉に励みを得て『或る日の運動』を読み返したのである。――この頃、彼は、最近の実生活を源にして、彼としては相当
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