た父である。少しく無法過ぎるところが不快だが、もう死んでしまつた父の話である、そして昔のことである、お伽噺のやうなものだ――彼は、お伽噺の主人公である父の衣服を借着して、遥々と海を越えて行く薄ら甘い情けなさに酔つた。
「ヘンリーは死んでしまつたが、彼の忠実な悴は、丁度彼が、昔々、彼の妻子を棄てゝこの国を訪れて来た時の心に比べて、何の新しさも持たない僕が、斯うしてたつた今お前の国に着いたところだよ。」
彼は、先づFにさう云はなければならなかつた。ヘンリーといふのは、異国の友達の間で称ばれてゐる父の字名である。和名の、頭文字のHをとつたのださうだ。
「お前のやうな臆病者が、好く独りで海を渡つて来られたね。」
Fは、青い眼を輝かせて、おどおどしながらあたりの見慣れない風景に見惚れてゐる彼の肩を軽く叩いた。
「この頃は、臆病ではないんだ。臆病でなさすぎる為に、母や妻や子と別れて斯うして遥々と出かけて来たんぢやないか。」
「お前の笑ひ方は、ヘンリーに似てゐるよ。」
「F! 結婚してお目出たう、大変云ひおくれてしまつた。」
「お前にも同じ言葉を返さなければならない、ワタシは。」
「それを快く享
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