奴の我儘はどうだ! と、彼は、ひとりで力んだ。無能、無智、不器用、そのやうな周子に、嘗て彼は、安易な組みし安さを持つてゐたのだが、それに無神経な露骨な自我を加へたこの頃の彼女には、辟易せずには居られなくなつた。はじめて主人といふものになつた彼の、小賢しい焦慮もその不用意な胸や頭を醜く、歪めてゐたには違ひなかつたが。

[#5字下げ]二[#「二」は中見出し]

 今日こそは、Fに手紙の返事を書かなければなるまい、彼女も結婚して三年目ださうだ、そして一人の子の母になつたといふ話だ、……そしてこの俺も、周子と結婚して既に五年か!
 彼は、今更のやうにそんなことをぼんやり考へたりした。だが彼のやうな消極的な青年に、青春を謳歌したり、結婚を悔ひたり、新しい恋を求めたりする程の溌剌さはなかつたが、妄想の遊戯で、稍ともすると底の見へ透いた怪し気な想ひに走つた。今になつてFの姿を、こんな形ちで思ひ出すなどは、大変徒らなことに違ひなかつた。
「あゝ、厭だ/\、周子、周子。」
 彼は、力もなくそんなことを呟いだ。
 彼が三歳の時、妻を嫌つて(多分さうに違ひない、と彼は久しい前から断定してゐた。)外国へ行つ
前へ 次へ
全83ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング