だらう、――僕は、気狂ひぢや閉口したからね、言葉だけでも御免だ!」
「気狂ひどころの騒ぎぢやないや、芝居ぢやあるまいし………ねえ、おい!」と、父はお蝶に呼びかけた。お蝶は、落着いた笑顔を示した。――「お蝶とお光は、この先きは法界節にでもなるかな、ハツハツハ、法界節だつて屹度面白いぞウ!」
「厭だ/\。」と、彼は云つた。「僕ア、ひとつ……」
彼は、半分戯談に云ひ続けたが
「僕ア、ひとつ……」とまた口ごもつた。
「若旦那がしつかりしてゐらつしやるから……」
お蝶は、如何にも彼の虚勢を信じ切つてゐるといふ風に、細い眼を慎ましやかに伏せた。父と彼は、思はず酔漢らしい眼を見合せてにやりとした。
――言ふまでもなくその頃の父の気持は今になつて思へば、凡そ数学の才に鈍い彼にとつても、暗算で出来る算術なのである。
[#5字下げ]八[#「八」は中見出し]
彼が、そつとのれん[#「のれん」に傍点]の蔭から覗いて見ると、あの異人の子供の手工を想はせる椅子が二つあまつて並んでゐた。重苦しく酔つて、他合もない感傷に走つてゐる彼は、奥の方に何んな人がゐるのかはつきり解らないと思つた時に、若少しでふとこ
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