かるかも知れないね。」
「うむ!」と、彼は、よく父が次郎の話になる時に示した通りな得意さを示した。次郎が隣りで聞いてゐるので、母を相手にする彼の気持は遠慮深かつた。地震で潰れた家の古木で建てた家の中は、この前にはそんな余裕がなかつたので気にもならなかつたが、今沁々と眺めると酷く殺風景だつた。
「葉山さんは?」
「風邪を引いて寝てゐるさうだ。」
こんな話をしてゐると彼の心は、忽ち滅入りさうだつた。酒を飲む彼を見て、遠慮深く不安な眼を挙げる母の様子も重苦しく感ぜられた。
直ぐ帰つて来る、と云つて彼は、外に出かけた。未だ宵だといふのに、街は森閑としてゐて、空地ばかりが多く、稍ともすると方角を誤りさうだつた。お蝶が秋まで住んでゐた掘立小屋は、労働者相手の居酒屋に変つてゐた。焼けだされた父が、お蝶達の仕末に困つて、大方自分の手で拵へた粗末な家だつた。おでん、かん酒と書いた赤い提灯が、軒先きに懸つてゐた。彼は、入つて見ようかと思つたが、こんな処で愚にもつかない思ひ出に耽るのは馬鹿々々しいと思つて止めた。――地震の後、十四五日経つて双方の安否が知れてから、彼は周子と英一と三人で小蒸汽船に乗つて、
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