の本陣である。あんな騒ぎはすつかり忘れた顔をして、二人とも済してゐるが、彼以上にその時の話に触れられることの厭らしい母を思ふと、彼は、遠回しにでも母の虚飾を突ツついてやりたかつた。母は、彼の云ふことを大方おとなしく受けいれた。そんな母ではなかつた。――これは自分以上に母の心の方が荒んでゐるのかも知れない、野となれ山となれ(母は以前、往々その言葉を用ひて彼の放埒を責めたことがある。)――母こそ今は、そんな心になつてゐるんぢやないかしら? などと思つて彼は、巧利的な心を動かしたりした。――弟の次郎が、隣りの部屋で低く電灯を降した机に凭つて筆記のペンを動かしてゐるのを眺めても、彼の胸は詰つた。彼の居ないことを好き幸ひにして、家中の者を呼び寄せて買ひ喰ひでもしてゐるだらう周子達に比べて、父を失ひ、不気味な母に見守られ、そしてたつた一人の放埒な兄より他にない次郎が可憐に思はれたりした、いつも兄の轍を踏んで、図太い不良青年にでもなつてくれたら、どんなに自分は救かるだらう――彼は、酷く詠嘆的にそんなことを思つたりした。
「次郎は今度も四番だかの成績ださうだ。この分で行つたら来年、四年で一高の試験が受
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