ことを云つた。
「随分暫らく会はなかつたね。君が此処へ来てゐるとマザーは寂しいだらう。」
「さうらしいよ。」
「あゝいふ堅い阿母さんだから、そしてしつかりしてゐるから、未だ君だつてそんな呑気なことを云つてゐられるんだよ。少しは有り難味も解つたかね。」
古くから彼の母を知つてゐる大原は、そんなことを云つた。
「解つたね。」と、彼は戯れ気に笑つた。母を嘲笑ふ心か? それとも己れを嘲笑ふ心か? そんな区別は解らなかつたが、彼の胸は、常人の口にしない食物を悦んで味ふ食道楽者を真似て、口に入れた食物を見得で鵜呑みにした時と同じ擽つたい克己心に満ちてゐた。
[#5字下げ]七[#「七」は中見出し]
「清友亭のお園さんは、この頃来ませんかね。」と、彼は母に訊ねた。
「この間一辺、阿父さんのお墓参りに行つた帰りだと云つて寄つて呉れた。」
「さう、そりア感心だね、久し振りで今晩あたり行つて見ようかな。」
こんな言葉は、半年前なら決して母の前で許されなかつたものである。
「あすこも仮普請などで、また商売を初めたんだがさつぱりはやらないさうだ。」
そんな事は彼は、知つてゐるのだ。清親との騒ぎの時の彼
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