んな状態の方が自分の心に適つてゐるやうにさへ思はれた。親父の場合よりも不気味な不味《まづ》さはあつたが、それだけに心は反つて微妙な悪辣の光りを放つやうな気がした。――これ位ひの刺激がないと、自分のやうな鈍い神経の男は、忽ち生気を失つてしまふに相違ない、何と云つても俺は親を相手にして徒らな観察を回らす時が、一番生甲斐を感ずるんだ、それより他には能はないんだ、親父が死んだからと云つて、髪を切つて、墓参を業とされるよりも、見るのは嫌だが、若返つた母親を感ずる方が面白い、俺は薬液の切れかゝつたモヒ中毒患者だつた、阿母の注射で漸く心臓が躍動して来た――彼は、そんな馬鹿な想ひに走りながら、電話をかけたことに満足した。
「いや、あしたの晩帰ります、いろいろ。書類の方だつて私が験べなければならないでせう、晩迄に整理して置いて下さい、それで今一寸電話を掛けたのです。」
 彼は、徐ろに斯んなことを云つて、母の返事も聞かずに、悠然と受話機を掛けたのである。
「阿母の御気嫌伺ひさ。今になつても僕は阿母の気嫌を取らないと、生活することが出来ないんだから心細いよ。」
 彼は、晴々しく笑ひながら大原に向つて、そんな
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