彼は、さう云つて、舌でも出したかつた。お蝶の処へ行つて見たいのも確かには違ひなかつたが、勿論母になど云ふ必要はないのだ。寧ろ彼は、東京に来て以来、虫のやうに寒さに縮んだ生活をしてゐるので、稀にはお蝶でも訪ねて、朗らかに威張りたいのである。彼が喋舌ることを徹頭徹尾感心して諾く人間は、お蝶とお光より他になかつたから――。
「そんな馬鹿なことがあるものかね、あゝいふ商売の女なぞは呑気なものだよ、昨ふのことなぞ覚えてゐるものぢやない、お前のやうな人の好いことを、何時までも云つて居られるものぢやないよ。」
幸ひあなたは私といふ悴があるから、そんな好い気な熱も吹けるだらうが、どつこい! 親父にとつてはあなたよりもお蝶の方が好きな人間だつたんだからなア、フツフツフ、お蝶どころぢやないんだ。あなたは知らないだらうが、Nといふ混血児の娘だつてあるんぢやないか――彼は、そんな途方もない思ひに走つた。今迄彼は、親に対して所謂不孝な観察を起す場合には、いくらか自責の念にも駆られたが、今では伸々と手足を延して、般若の心で笑つてゐられる気がされた。なまじ母親を、慰めたり、同情したりする立場に置かれるよりは、こ
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