、お蝶を案じるようなことばかり云つてやらう、そんなことを彼は思ひながら、
「いづれ帰つてから、いろいろ話しますが、あまり便りがないとすると、僕は今度そつちへ行つたついでに、静岡まで行つて見て来ようかと思つてるんですよ。」
「何を云つてゐるのさ、お前は! すつかりきまりがついて、あゝなつたんだからもう余外なことはしない方が好いんだよ。」
「さうですかなア!」と彼は、大袈裟に点頭く風を示して、そつと快い苦笑を感じた。暫く、この種の母の嫉妬を見なかつたので、何となく彼は懐しい思ひさへした。自分が悪徳を行つてゐるにも係はらず、未だに一寸でもお蝶の話に触れると露骨な自尊心を現はさずには居られない母を、こんな所で離れて感ずると彼は、皮肉にならずには居られなかつた。周子などを相手にして、切つ端詰つた思ひで苛々するのに比べると、母を相手にする方が心に奇妙におどけた余裕が出来て晴々しかつた。久し振に小田原へ行くことが、暖かい国へでも行かれるやうに楽しみだつた。
「だつてお蝶さんだツて、心細いでせうからね、見ず知らずの処へお光とたつた二人で行つてゐるんぢやア! せめて稀には僕でも行ツてやらなければ……」
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