つてゐるのも一層堪らなかつた――「大原の店へ行かう。」と、彼は気づいた。彼は急に脚を速めて引き返して、乗合自動車に乗つて日本橋まで行つた。
大原の店へ行つた時は、もう夜だつた。大原は、仕事を終へたところでテーブルに凭つてぼんやり煙草を喫してゐた。
電話は、そんなに待たされもしないで通じた。
「病気でゝもあるんぢやないかと思つた、あまり便りがないので――」
「皆な丈夫……」と、彼は云つた。
「今年は寒さが強いさうだね、そつちは。」
「えゝ。」
「此方も、何しろ家がこの通りだからね、私は此間風邪を引いて一週間も寝てしまつた。」
「もう、すつかり治つたの?」
「えゝ、そしてお前は何時帰るの。」
「二三日うちと思つてゐるんですが、どうも社の方の仕事が近頃忙しいもので……いや、帰る前の日には……」
「そして今日は何か用なの?」
彼は、黙つてゐた。傍に誰か居る気配がありはしまいか? 彼は、凝と疑り深くそんな聞き耳をたてたりした。――電話なんぞ掛けるんぢやなかつた、などと思つた。
「お蝶さんから何か便りがないですか。」
「ない。」と、母は明らかに不気嫌な気色を示した。――これからワザと母の前で
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