ツて小説のことか。」
「当り前ぢやないか、厭な奴だね。文学青年がるまいと思つてゐやがる、三十にもなりやがつて!」
「だつて僕は、絵もかくんだからな!」と、彼は心から訴へた。以前油絵をやつたことがあるが、この頃になつて彼はいくらか絵の方に心を惹かれてゐた。
「僕は、昨夜例の小説を到々書きあげてしまつた、無慮百七十枚だ。今日は実に晴々しいんだ。」
「羨しいなア!」と、彼は思はず叫んだ。この頃彼は、小説を書き終へて晴れ晴れしい気持を味つたことがなかつたから――。「僕だつて、それやア書きかけてはゐるんだがね……」と、彼は続けて思はず冷汗を感じた。まつたく彼は一ト月も前から或る小説を書きかけてゐることは確かだつた。
「君は、此頃非常に遅筆ださうだね。」と友達は意味あり気に笑つた。
「うむ!」
「みつともねえぞ、――遅筆がりなんて! がり[#「がり」に傍点]とより他思へないよ。煽てるわけぢやないが、親父以来君の心境は、フツキレてゐるよ……」
「フツキレるツて、如何いふわけだ。」
「田舎者は話せねえな、フツキレるといふのは冷笑の言葉ぢやないよ、ふくれツ面をするねえ――推賞の言葉だよ。」
「……親父
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