分であるべき主人公を「彼は――」「彼は――」と、書くのであつた。小説的と思つて「彼は――」とするのではなくて、自分があまり親不孝で、そして愚昧過ぎるのがわれながら醜く思はれて、せめて主人公だけは「彼は――」として、セヽラ笑つて見逃すより他はなかつた。何と悪評されても答へる術はなかつた。五枚書いては破り十枚、二十枚書いては破りするが、それは決して出来不出来の推敲ではなかつた。「この作者、果して父親小説以外のものが書き得るや否や?」こんなことを云はれると、彼は他人の前では「何だ失敬な、三つや四ツ父親の小説を書いたからと云つて、それで俺の創作範囲を限定するなどとは無礼にも程がある。俺はこれでも想当空想の自由が利く男なんだ。」などと、まことしやかな憤慨を洩すが、云ふまでもなく大学文科の頃と何の差もない彼である。あの騒々しい親父が死んでしまつたら、もう何も書くこともなく、せめて追憶に光りでもあれば、何と批難されたつて同じやうなものを執筆するであらうが、それも今では「お伽噺」に変つてゐる。彼は、お伽噺は書く気になれなかつた。
「此頃、何か書いてゐるか?」と、或る友達が彼に訊ねた。
「書いてゐるか?
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