頃、彼の家は形だけは幸福だつた。彼の父は、蜜柑の山を見廻つたり、鶏を飼つたりして、老境に入る支度をしてゐた。遠い国に混血児の妹がある――その事すら彼は知らなかつた頃である。彼は、叙情的な詩をつくつてゐた頃だつた。
「タキノや、家が斯んなに貧乏だつていふことが知れると、お前ら家へ行つて周子が辛い思ひをするだんべエから、黙つてゐて呉れろうよ、おらがお父ちやんだつて、そのうちには盛り返す、おらがついてゐるんだから……」
 房州辺の、あくどいなまりで周子の母は彼にそんなことを頼んだ。間もなく周子の父は、様々な事業を携へて、彼の父を訪れた。彼の父は、今迄多くの事業で失敗し、未だ余憤が消えてゐなかつた為か、忽ち形もなひ製薬株式会社の社長になつたり、東北銀行創立、専務取締役になつたりした。周子のところでは、大崎の裏長屋から、目黒に家を買つて移転した。――東京から様々な人々が出入して、彼の父は滅多に家に帰らなくなつた。彼の父は、お蝶と親しくなつた。自動車などが、定期で借り切つてあつた。お蝶の家の門口には朝鮮信托会社小田原出張所などといふ札が掛つてゐた。
「さういふ話は、沁々と俺は、もう飽きてゐる。」と
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