のね。田舎と云つたつて、あたしはもう小田原は御免よ。」
「俺も小田原は御免だ。だがいつかの熱海の家は、借金の形に取られてしまつたといふ話ぢやないか。」
「と云ふ話も何もあるもんですか、あなたがバカだからよ。」
 そんな話で、バカだからなどと云はれると彼は、俺はお人好しだから俗事には疎いのさ、といふ風な途方もない虚栄心を誇つた。実際には何の口も利けないが、自分の物が失れた話を聞いたりすると、夥しく小さな吝嗇の心が動いて、極めて恬淡でない通俗的な疳癪が起るにも関はらず――。
「取られるのは当り前ぢやないの。」と、周子は他人の不幸を冷笑するやうな態度で続けた。「あなたの家なんて、皆な借金ばかりで固まつてゐたやうなものさ、小田原の地所だつてもう間もなく取られてしまふだらうツて、うちのお父さんも云つてゐたわよ。」
 彼は、グツと苦い塊りに喉を突かれたが「仕方がないさ、ぢや田舎行きもお止めか、どうならうと、僕なぞは始めからそのつもりだから、平気なものだ。」と、云ひながらも周子の父親の顔を想ひ描かずには居られなかつた。――彼が、周子と結婚した当時、彼女の家は翌日の食に不安を覚える程の貧窮だつた。その
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