彼は、ムツとしたが、まつたく今云つた通り、何の変化もない怒りの道程を方程式に依つて繰り反すことの煩しさを思ふと、堪へることの方が遥に楽な気がした。こんなことは珍らしかつた。
「俺が、阿母や清親の奴と、あんな風になつて此方へ来たものゝ、俺は決してお前を甘えさせはしないよ。第一、お前なんぞを味方だとも何とも思つてゐやアしない。」
「あの位ひ苦しい思ひをすれば、沢山だ。」
 周子は、もう聞き飽きたといふ風に白々しく呟いだ。
「第一俺は、貴様の家へなどは決して行かないよ、交際しないんだ。」
 危いな! と、彼は気附いたので、続かうとする言葉を呑み込んだ。
「えゝ、いゝわ、あたしだつてその方が反つて気が楽ですわ。」
 珍らしく逆はないで周子は、物解りの好さを見せつけるやうに点頭いた。一寸、取り済して眼を伏せた鼻の低い女の横顔を眺めると彼は、軽い反感が起つて、何かもう少し憎態な言葉でも吐きたかつたが、何よりもこの晩は、波瀾なく酔ふことを欲してゐたのだ。――殊に目立つて、彼のこの頃の癖で、如何にも潔癖らしく口先きだけは云ふが、心はいつも極めて弱々しかつた。胸の底は、酒にでも酔はない限り、いつまでも微
前へ 次へ
全83ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング