見我々の常識と非常に相違するばかりでなく、これに由りて宇宙の現象を説明しようとすると種々の難問に出逢うのである。しかしこれらの難問は、多くは純粋経験の立脚地を厳密に守るより起ったというよりも、むしろ純粋経験の上に加えた独断の結果であると考える。
かくの如き難問の一は、若し意識現象をのみ実在とするならば、世界は凡て自己の観念であるという独知論に陥るではないか。またはさなくとも、各自の意識が互に独立の実在であるならば、いかにしてその間の関係を説明することができるかということである。しかし意識は必ず誰かの意識でなければならぬというのは、単に意識には必ず統一がなければならぬというの意にすぎない。もしこれ以上に所有者がなければならぬとの考ならば、そは明《あきらか》に独断である。然るにこの統一作用即ち統覚というのは、類似せる観念感情が中枢となって意識を統一するというまでであって、この意識統一の範囲なる者が、純粋経験の立場より見て、彼我の間に絶対的分別をなすことはできぬ。もし個人的意識において、昨日の意識と今日の意識とが独立の意識でありながら、その同一系統に属するの故を以て一つの意識と考えることが
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