できるならば、自他の意識の間にも同一の関係を見出すことができるであろう。
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我々の思想感情の内容は凡て一般的である。幾千年を経過し幾千里を隔てていても思想感情は互に相通ずることができる。たとえば数理の如き者は誰が何時何処に考えても同一である。故に偉大なる人は幾多の人を感化して一団となし、同一の精神を以て支配する。この時これらの人の精神を一と見做《みな》すことができる。
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次に意識現象を以て唯一の実在となすについて解釈に苦むのは、我々の意識現象は固定せる物ではなく、始終変化する出来事の連続であって見れば、これらの現象は何処より起り、何処に去るかの問題である。しかしこの問題もつまり物には必ず原因結果がなければならぬという因果律の要求より起るのであるから、この問題を考うる前に、先ず因果律の要求とは如何なる者であるかを攻究せねばならぬ。普通には因果律は直《ただち》に現象の背後における固定せる物|其者《そのもの》の存在を要求するように考えているが、そは誤である。因果律の正当なる意義はヒュームのいったように、或現象の起るには必ずこれに先だつ一定の現
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