に設けられた仮定にすぎぬ。
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いわゆる唯物論者なる者は、物の存在ということを疑のない直接自明の事実であるかのように考えて、これを以て精神現象をも説明しようとしている。しかし少しく考えて見ると、こは本末を転倒しているのである。
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それで純粋経験の上から厳密に考えて見ると、我々の意識現象の外に独立自全の事実なく、バークレーのいったように真に有即知 esse=percipi である。我々の世界は意識現象の事実より組み立てられてある。種々の哲学も科学も皆この事実の説明にすぎない。
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余がここに意識現象というのは或は誤解を生ずる恐がある。意識現象といえば、物体と分れて精神のみ存するということに考えられるかも知れない。余の真意では真実在とは意識現象とも物体現象とも名づけられない者である。またバークレーの有即知というも余の真意に適しない。直接の実在は受動的の者でない、独立自全の活動である。有即活動とでもいった方がよい。
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右の考は、我々が深き反省の結果としてどうしてもここに到らねばならぬのであるが、一
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