統一はいわゆる知的直観の形において与えられたのである。知的直観とは知覚と同じく意識の最も統一せる状態である。
 普通の知覚が単に受動的と考えられているように、知的直観もまた単に受動的観照の状態と考えられている。しかし真の知的直観とは純粋経験における統一作用其者である、生命の捕捉である、即ち技術の骨《こつ》の如き者、一層深くいえば美術の精神の如き者がそれである。たとえば画家の興来り筆自ら動くように複雑なる作用の背後に統一的或者が働いている。その変化は無意識の変化ではない、一つの物の発展完成である。この一物の会得が知的直観であって、而もかかる直覚は独り高尚なる芸術の場合のみではなく、すべて我々の熟練せる行動においても見る所の極めて普通の現象である。普通の心理学は単に習慣であるとか、有機的作用であるとかいうであろうが、純粋経験説の立場より見れば、こは実に主客合一、知意融合の状態である。物我相|忘《ぼう》じ、物が我を動かすのでもなく、我が物を動かすのでもない、ただ一の世界、一の光景あるのみである。知的直観といえば主観的作用のように聞えるのであるが、その実は主客を超越した状態である、主客の対立は
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