たのであるが、今少しく思惟の起源および帰趨《きすう》について論じ、更に右二者の関係を明にしようと思う。我々の意識の原始的状態または発達せる意識でもその直接の状態は、いつでも純粋経験の状態であることは誰しも許す所であろう。反省的思惟の作用は次位的にこれより生じた者である。しからば何故に此《かく》の如き作用が生ずるのであるかというに、前にいったように意識は元来一の体系である、自ら己を発展完成するのがその自然の状態である、しかもその発展の行路において種々なる体系の矛盾衝突が起ってくる、反省的思惟はこの場合に現われるのである。しかし一面より見て斯《かく》の如く矛盾衝突するものも、他面より見れば直《ただち》に一層大なる体系的発展の端緒である。換言すれば大なる統一の未完の状態ともいうべき者である。たとえば行為においてもまた知識においても、我々の経験が複雑となり種々の聯想が現われ、その自然の行路を妨げた時我々は反省的となる。この矛盾衝突の裏面には暗に統一の可能を意味しているのであって、決意或は解決の時已に大なる統一の端緒が成立するのである。しかし我々は決して単に決意または解決という如き内面的統一の状
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