であるかも知らぬが、多くの宗教家はこれに反対するのである。何となれば神と自然とを同一視することは神の人格性をなくすることになり、また万有を神の変形の如くに見做《みな》すのは神の超越性を失いその尊厳を害《そこな》うばかりでなく、悪の根源も神に帰せねばならぬような不都合も出てくるのである。しかしよく考えて見ると、汎神論的思想に必ずこれらの欠点があるともいえず、有神論に必ずこれらの欠点がないともいわれない。神と実在の本体とを同一視するも、実在の根本が精神的であるとすれば必ずしも神の人格性を失う事とはならぬ。またいかなる汎神論であっても個々の万物そのままが直《ただち》に神であるというのではない、スピノーザ哲学においても万物は神の差別相 modes である。また有神論においても神の全知全能とこの世における悪の存在とは容易に調和することはできぬ。こは実に中世哲学においても幾多の人の頭を悩ました問題であったのである。
 超越的神があって外から世界を支配するという如き考は啻《ただ》に我々の理性と衝突するばかりでなく、かかる宗教は宗教の最深なる者とはいわれないように思う。我々が神意として知るべき者は自然
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