また神が人を愛するというのもこの世の幸福を与うるのではない、これをして己に帰せしめるのである。神は生命の源である、我はただ神において生く。かくありてこそ宗教は生命に充ち、真の敬虔《けいけん》の念も出でくるのである。単に諦めるといい、任キという如きは尚自己の臭気を脱して居らぬ、未だ真の敬虔の念とはいわれない。神において真の自己を見出すなどいう語は或は自己に重きを置くように思われるかも知らぬが、これかえって真に己をすてて神を崇《たっと》ぶ所以である。
神人その性を同じうし、人は神においてその本に帰すというのは凡ての宗教の根本的思想であって、この思想に基づくものにして始めて真の宗教と称することができると思う。しかし斯の如き一思想の上においてもまた神人の関係を種々に考えることができる。神は宇宙の外に超越せる者であって、外より世界を支配し人に対しても外から働くように考えることもでき、または神は内在的であって、人は神の一部であり神は内より人に働くと考えることもできる。前者はいわゆる有神論 theism の考であって、後者はいわゆる汎神論 pantheism の考である。後者の如く考うる時は合理的
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