はなくして、一社会の各員がその社会の安寧秩序を維持する力に対する共同的関係である」といっている。凡《すべ》ての宗教の本には神人同性の関係がなければならぬ、即ち父子の関係がなければならぬ。しかし単に神と人と利害を同じうし神は我らを助け我らを保護するというのでは未だ真の宗教ではない、神は宇宙の根本であって兼ねて我らの根本でなければならぬ、我らが神に帰するのはその本に帰するのである。また神は万物の目的であって即ちまた人間の目的でなければならぬ、人は各《おのおの》神において己《おの》が真の目的を見出すのである。手足が人の物なるが如く、人は神の物である。我々が神に帰するのは一方より見れば己を失うようであるが、一方より見れば己を得る所以《ゆえん》である。基督《キリスト》が「その生命を得る者はこれを失い我が為に生命を失う者はこれを得べし」といわれたのが宗教の最も醇《じゅん》なる者である。真の宗教における神人の関係は必ず斯《かく》の如き者でなければならぬ。我々が神に祈りまたは感謝するというも、自己の存在の為にするのではない、己が本分の家郷たる神に帰せんことを祈りまたこれに帰せしことを感謝するのである。
前へ 次へ
全260ページ中223ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
西田 幾多郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング